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静岡県下田市 撮影出張 「伊豆と下田半島の魅力」軽野神社(かるのじんじゃ)その4 (2023年5月12~14日)

静岡県下田市 撮影出張 「伊豆と下田半島の魅力」軽野神社(かるのじんじゃ)その4 (2023年5月12~14日)

 

軽野神社(かるのじんじゃ)

 

創建年代は不明である。
当社は、狩野郷全体の総鎮守であり
式内社・輕野神社に比定されている古社。

 

古来、笠離明神とも笠卸(はずし)明神とも称され
社前を通る人々は、神威を恐れて
笠をはずして通っていたという。

 

日本書紀』に、
応神天皇五年(274)十月、
伊豆国に命じて船を造らせた。
長さ十丈の船が出来た。
試しに海に浮かべてみると、
軽くて、走るように進んで行く。
よって、その船を「枯野」と名付けたとある。

 

当社は狩野川流域に豊富にある
良質の船材・楠の集積地であり、
「枯野」を造った時も当社の神前で祭祀を行ったという。

 

 

所在地 :静岡県伊豆市松ケ瀬79

 

 

日米近現代史研究家 渡辺 惣樹先生がこの神社をご説明されました。

 

 

 

 

 

 

 

市指定文化財(歴史資料)

「 狩野介(かののすけ)の棟札」
御地頭狩野介  御大工福井七郎左衛門尉秀顕
敬白 大旦那飯田中務尉泰長 鍛冶三郎左衛門正信  謹書之
奉修造豆州狩野庄松瀬村笠離大明神御宝殿 天文廿一年子壬霜月十五日
御代官小泉意春
本願檀那祢祗飯田惣左衛門尉泰光
合本願大河十郎左衛門吉廣

 

延喜式内社である軽野神社に残されている最古の棟札である。
天文21年(1552)当時、伊豆の国後北条氏の支配にあった。
永禄 2年(1559)の北条役高帳松山衆の項に狩野氏の二名の名があり、松ヶ瀬と小立野、日向を領していたことが記録されている。
この棟札の一行目に「狩野介」と記されているが、これは当神社南方の丘陵地に平安時代後期より本拠を構えてこの地を治めていた豪族、狩野氏に与えられている称号である。「介」の称号は、当時全国で八家しか与えられていなかったものであり、その点ではこの棟札は、狩野氏の勢力の強大さを物語る貴重な資料でもある。
平成元年5月9日 指定  伊豆市教育委員会

 

現地案内板より

 

 

 

 

 

 

軽野神社の軽(かる)とカヌーという言葉の関係?

 

ここで船を造っていたということは、もしかして。。。

 

実際は、
カヌー(Canoe)とは、カリブに先住したアラワク族インディアンの言葉で、カリブ海周辺の小型舟艇の名称である。それから転じて、世界各地の伝統的な舟艇を指して使われる用法が一般化しているが、明確な定義は無い。

 

 

 

 

 

日米近現代史研究家 渡辺 惣樹(わたなべ そうき)先生

 

2023年5月、下田へ遊びに来ました。そこで渡辺先生が自ら運転でここまで連れてきて下さり、軽野神社内で様々なことを解説して頂きました。先生の幅広い知識には感銘します。

 

 

阪本研究所として、息子さんの映像制作会社「Leo Studio Production」をサポートさせて頂いております。

渡辺 惣樹 - YouTube

 

 

 

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