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【日本神話に見る日本人の和の心】The Japanese “WA” Spirit of Harmony as Seen in Japanese Mythology.

【日本神話に見る日本人の和の心】The Japanese “WA” Spirit of Harmony as Seen in Japanese Mythology.

 

日本の神話を通じて日本人の「和の心」に焦点を当てています。以下はこの記事の主な5つのポイントと解釈です。

 

  1. 神社の役割と意義:

   - 神社は祈りや人生儀礼を通じて絆を深める場所であり、「鎮守の杜」として都会の中に自然を持っています。これらの神社は日本の伝統を次世代に伝える「生きたタイムカプセル」。

 

  1. 日本神話と和の心:

   - 日本は古くから「大和(やまと)の国」と呼ばれ、「和(わ)」を重んじる国民性があります。

   - 日本神話において、「国譲り」の物語が紹介され、争いではなく話し合いを通じて国の所有権が決定されたことが強調。これは日本人の「和」の精神を表しています。

 

  1. 神話と歴史の共通性:

   - 日本神話の物語は、明治維新時代の歴史的事実と共通点があります。朝廷と幕府が争いを避け、交渉と話し合いを通じて権力の移譲が行われたことが挙げられています。

 

  1. 「和」の精神の継承:

   - 日本人は神代から「和」を重んじる民族であり、その精神は世界に類を見ないものとされています。この「和」の心には、世界の平和を祈り、調和を重んじる意味が込められています。

 

  1. 歴史的な出来事との対比:

   - 日本神話の物語と明治維新時代の出来事との類似性及び、これを通じて日本人の思考や行動の一貫性が見受けられます。

 

総じて、神話や歴史を通じて、日本人が「和」を重んじ、争いではなく話し合いを大切にする精神を持っていることを書いています。

 

 

全国の神社数は約8万社

現在、全国の神社数は約8万社と言われています。実際には宗教法人格をもっていない神社もあり、これらの神社は除かれます。また、神道協会という形態もあり、全国の性格な神社数はわからないのが現状です。

 

 

神社は、祈りや人生儀礼を通じて絆を深める場所であり、都会の中においては「鎮守の杜」という自然を持ち、連綿と続く日本の伝統を次世代へ伝える「生きたタイムカプセル」です。人々との絆の尊さ、自然への畏れ、地域に根付いた伝統文化の大切さに気づかせてくれます。神社は、「絆」「自然」「伝統」を育む変らない存在として、これらの大切さを伝えていかなくてはならない場所です。



 

 

日本神話に見る日本人の和の心

 

日本は古来から「大和(やまと)の国」と言われてきました。また日本人は「和(わ)」を重んじる国民であると見られています。こうした「和のこころ」は日本の神話の中に見出すことができます。



 

 

日本神話、特に「古事記こじき)」の中には、このように記されています。アマテラス大御神(天照大御神)の子孫であるニニギ命(天津日高日子番能邇邇芸命)が、この国・豊葦原中国(とよあしはらなかつくに)を治めるため「天孫降臨」する前に、この国はオオクニヌシ神(大国主神)が治めていたことが記されています。

 

 

 

オオクニヌシ神(大国主神

オオクニヌシ神とは、アマテラス大御神の弟神で八岐大蛇を退治したスサノヲ命(須佐之男命)の子孫です。子供頃に聞いた昔話の「因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)」の物語の主人公でもあります。

 

葦原中国(あしはらのなかつくに)

オオクニヌシ神が治める国は、「葦原中国(あしはらのなかつくに)」とか「豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)」と呼ばれ、神代には大変に豊かな国でした。アマテラス大御神は、この国は自分の子孫であるニニギ命が治めるべきだと考え、オオクニヌシ神に国を譲るよう求めます。子供の反対はあったもののオオクニヌシ神はこれに従い、立派な宮殿の建設と引き換えに「国譲り」を承諾します。この日本の国の起源を伝える物語に、戦って奪い取るのではなく話し合いによって解決しようとする日本人の「和」の精神を見ることができるのです。

 

 

 

 

アマテラス大御神は、話し合いによる「国譲り」を交渉し、まずはタケミカズチ神(建御雷神)とアメノトリフネ神(天鳥船神)を遣わします。この申し出に対し、オオクニヌシ神(大国主神)は「私の一存では決めらぬ。子のコトシロヌシ命(事代主命)に聞いてくれ」と言います。父であるオオクニヌシ神(大国主神)は一人で物事を決めずに、子たちの意見を尊重しようとします。

 

 

 

コトシロヌシ命(事代主命

コトシロヌシ命(事代主命)は、国譲りを承諾します(船を踏み傾け、手を逆さに打って青柴垣に変えて、その中に隠れます)。しかし、もう一人の子であるタケミナカタ命(建御名方命)は反対し、タケミカズチ神(建御雷神)に力比べを挑みます。結局、タケミナカタ命(建御名方命)は信濃国諏訪湖まで逃げたところで敗れ、国譲りに同意します。

 

 

 

 

 

オオクニヌシ

子たちが同意したと聞いたオオクニヌシ神は、「二人の子供たちが天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に譲ろう。その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。私の百八十神(ももやそがみ)たちは、コトシロヌシ命に従って天津神に背かないだろう」と言い、「国譲り」は行われました。

 

 

 

先住の神からの「国譲り」

このように争いではなく、先住の神からの「国譲り」は、話し合いを基に行われ、一部争い事はありましたが、互いの合意という形で国譲りが行われたと物語っています。

 

単なる国を併合するのではなく、国を譲り受けた側が譲った側に対し、最高の礼を尽くしています。アマテラス大御神は、アメノヒスミノミヤ(天日隅宮)という大きな宮殿を造り、アマテラス大御神の子であるアメノホヒ命(天穂日命)を大国主命の霊に祀らせます。この宮殿が杵築大社、今の出雲大社の起源だと言われています。そして天穂日命の子孫は、今も出雲大社宮司の職を継承しています。

 

 

 

明治維新

この神話の物語は、明治維新の歴史的事実と似ている所があります。幕末の日本、西欧列強が日本に開国を迫る時代に、朝廷と幕府は争いを避け、交渉を重ねた末に、幕府の徳川慶喜は朝廷に大政を奉還します。慶喜はこのことを一人で判断するのではなく、家臣や諸大名の意見を聞いたうえで決定します。そして薩摩藩西郷隆盛幕臣勝海舟が話し合い、江戸城は無血で開城され、日本国の権力の移譲は行われます。

 

 

徳川慶喜

徳川慶喜は、後に明治天皇から貴族に叙され、徳川家は名誉ある形で存続しています。また初代将軍・徳川家康を祀った日光東照宮は潰されることもなく、今日も大切にされています。こうした日本神話の物語や歴史を見ると、そこに日本人の考え方が現れています。

 

 

 

「和」が重んじられてきた民族

日本人は神代から「和」が重んじられてきた民族だったのです。私たち日本人は世界にも類を見ない「和」の精神を貴び生きてきた人たちなのです。私たちのこうした精神には、世界の平和を祈り調和を重んじる和の心が込められているのです。