【そうきチャンネル】『ネオコンとは何か? その1』・モンロー主義と干渉主義の抗争 日米近現代史研究家 渡辺 惣樹(わたなべ そうき)23.018 #渡辺惣樹 #わたなべそうき #そうきチャンネル
【そうきチャンネル】『ネオコンとは何か? その1』・モンロー主義と干渉主義の抗争 日米近現代史研究家 渡辺 惣樹(わたなべ そうき)23.018 #渡辺惣樹 #わたなべそうき #そうきチャンネル
*動画のスクリプトです👇
私は解説の中で繰り返しネオコンという言葉を使っています。
視聴者の方から、ネオコンについて分かりやすく説明してほしいという要望がありました。
私はこれまで発表してきた著作の中でこのことについては何度か触れてきました。
例えばPHP研究所から出版した「アメリカ民主党の欺瞞」第二章なぜボルトンは罷免されたのか、の中で詳述しました。この問題について興味のある視聴者の方は是非一読ください。
本日の動画では、ネオコンという用語にまだぴんときていない方に向けて「ネオコンとは何か」についてアメリカの歴史を紐解きながらお話ししたいと思います。
今日は4回シリーズの第1回です。
連続シリーズを予定していますが、時に重要なトピックが突発的に入る可能性もありますので、連続のアップロードにならないかもしれません。
予め了解ください。
いうまでもなくアメリカは、英国の植民地でした。
その独立はジョージ・ワシントンらの所謂、建国の英雄たちが、宗主国英国との戦いに勝利することで獲得しました。
1776年7月4日、アメリカはフィラデルフィアで独立を宣言しました。
イギリスとの戦いでようやく勝ち取った独立だっただけに、アメリカはヨーロッパ勢力が北米大陸に介入することを極端に嫌うことになります。
アメリカ内政への干渉は言うまでもなく、中南米諸国へのヨーロッパ諸国の口出しにも反発します。
ヨーロッパ諸国の南北アメリカ大陸への干渉を嫌うその性格は、アメリカ誕生の経緯から来る生来のものなのです。
1823年、アメリカ大統領ジェイムズ・モンローはこのアメリカの主張を明確にして発表しました。
それがモンロー宣言と言われるものです。そのエッセンスは次のようなものです。
アメリカはヨーロッパ諸国の紛争に干渉しない。
ヨーロッパ諸国は南北アメリカに現存する植民地や属領を承認し、干渉しない。
現在、独立に向けた動きがある旧スペイン領に対して干渉することは、アメリカの平和に対する脅威とみなす。
簡単に表現すれば、ヨーロッパ諸国は南北アメリカに干渉するな、その代わりアメリカもヨーロッパ問題には口出ししないというものです。
つまり相互不干渉という態度をアメリカは取るとモンロー大統領は表明したのです。
この考え方をモンロー主義と言います。
モンロー主義の風刺画
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19世紀のアメリカは、基本的にはこの考え方で外交を進めてきました。
しかし、アメリカが南北戦争以後、保護貿易により国内製造業を発展させ、宿敵英国を上回る工業国に成長します。
そうなるとかつての宗主国英国のように他国への干渉をしたくなる政治勢力が生まれてきます。
20世紀に入ると、そうした勢力が強力になってきました。
ヨーロッパ問題に干渉したがる勢力とモンロー主義を墨守したい勢力とは外交方針を巡って角突き合わせるようになります。
20世紀初めには二つの勢力は均衡を保っていました。
この均衡を崩したのは、アメリカ金融資本家の雄であるモルガン商会などの後ろ盾を受けて大統領に担ぎだされたウッドロー・ウィルソンでした。
ウィルソンは民主党の大統領です。視聴者もお気づきのようにアメリカ民主党は介入主義の政党です。
米国の金融資本家そしてその後ろに控えるロンドンの金融資本家もそのターゲットは世界市場です。
ですからその活動の自由度高めようとします。自由度を高めるために、どうしても外国政府への干渉を求めるのです。
彼らは民主党の政治家を操ることでその狙いの実現を考えました
1914年6月、オーストリアの皇位継承者であるフランツ・フェルディナントがサラエボで暗殺されたことをきっかけに第一次世界大戦が始まります。
干渉主義勢力によって担ぎだされたウィルソン大統領はこの戦争に介入する機会を窺っていました。
言うまでもなくイギリス・フランスの側に立って参戦したかったのです。
しかし、先ほど説明したようにアメリカにはモンロー主義の伝統に立つべきだとする根強い勢力があり、国民に介入止む無しを説得することが出来ませんでした。
外国の戦いに介入する、つまり軍隊を派遣することは、自国の若者に死を覚悟させることです。
ウィルソン大統領は若者に死を覚悟させる「理屈」を国民に提示できなかったのです。
ところが1917年に入るとウィルソンにとって幸運な出来事が起こりました。
ロシアで革命が起きたのです。
ロシアは、1914年以来、イギリスやフランスとともにドイツ・オーストリア・トルコなどの中央同盟国との戦いを続けていました。
当時のロシアはニコライ二世を君主に抱く専制国家でした。
そのロシアではユダヤ人を迫害するポグノムが頻発していました。
イギリス・フランスの側に立っての参戦ならウィルソンは何とか屁理屈を付けられたのかも知れませんが、この両国とともに戦うロシアがユダヤ人迫害を続けている専制国家なのです。
アメリカ国民に参戦止む無しを説得できるはずもありませんでした。
そんな時に、ロマノフ王朝を転覆させるロシア革命が起きたのです。
この続きは次の動画で説明いたします。